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道は険しくとも、口笛を吹きながら歩いていこう♪ 大腸がん手術を受けたのを機に書き始めた日記です。治療、再発の不安、人工肛門、いろいろあるけど生かされている今を大切に、明るく行きましょう!
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がんで亡くなった故山本孝史議員の「救える「いのち」のために」という本を読んでいます。
これから何回かに分けて、感想を述べてみたいと思います。

で、今回は「薬害エイズ問題」で有名な川田龍平議員との対談から・・・
(これは巻末にあるので、実は一番最後の部分ですが)

ここで特徴的なのは、お二人とも「命」をテーマに活動されてきたにもかかわらず、
山本議員は「先進国で認可されている抗がん剤は、日本での治験がなくても承認
すべきだし、自己責任での利用を認めるべき」との基本的立場であるのに対し、
川田議員は「国は安全を保障すべきであり、安易に自己責任という考えを導入すると、
企業はすべてを自己責任にするので、慎重にすべき」と主張している点です。
(私の理解の下で、要約しているので、詳細は読んで確認してください)

「薬害エイズ」や「抗がん剤イレッサでの副作用」など、「薬の安全」を脅かす問題が
実際に起きたことや、川田氏は自身が被害者になったことから、慎重になるのもわかります。
もしかしたら、エイズは薬の発達により、「死の病」から「付き合える病」になったことも
微妙な温度差になっているかもしれない・・そんな風にも感じてしまいます。

ただ、国に対し「絶対的な安全」を求めると、目の前で救えるかもしれない命には目をつむる
ことにもなるのではないでしょうか。
国も「絶対的な安全」を求められれば、起訴を恐れて、慎重になるでしょう。
薬害が起きれば起訴になりますが、新しい抗がん剤の承認が遅れても起訴にはなりません
から。少なくとも現時点では・・・

今朝の新聞でも、乳がんの予防としてのハーセプチンの承認に海外より1年9ヶ月も遅れたと
報道されていましたが、起訴はされませんね。
その期間に、いったい何人の患者が転移をしてしまったのか・・・・
それに対する責任は、誰が負うのか?

山本氏は本書の中で、以下のように述べている。
・がん患者や家族にとっては、「できうることはすべてした。未承認薬の使用が寿命を縮める
 ことになったとしても、自らの選択を悔やむことはなく、満足できる最後だった」という気持ち
 を持てること。
・がん患者と家族の満足度も、がん医療を考える際の、大切な視点です。・・・と

「薬害の防止」と「海外で実績のある未承認薬を(国内で治験しないで)使用すること」は
相反するものではないとも、山本氏は述べています。

あらっぽい発想かもしれないが、「欧米で承認されている抗がん剤は、まず保険対象治療と
して認めていくこと」は現実的な対応だと思う。
本質は、安全性ではなく、日本の官僚による患者不在の承認制度にあるのであり、システム
の問題として、政治家はとらえるべきだ。承認の遅れを、安全性議論でごまかしてはいけな
いのだ。
もちろん、患者は「国内での治験は終了していないこと」などのリスクを知った上で服用でき
るようにすべきだが。(自己責任ということになるのだろう)



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先日、出張で新幹線に乗るときに「プレジデント4月14日号」を購入しました。
タイトルは「わが町一番の病院・医者ガイド」!
手術数が出ていて、なかなか参考になりましたよ。

特に、気になったのが国立ガンセンター中央病院病院長土屋氏のお話。
なるほど!と思うところも、おや?と思うところも・・・

①外科医のスキルを維持するには、最低でも年間100例程度の手術は必要。
  (ふむふむ、患者もスキルのあるところで手術を受けたいし)

②たとえば、肺がんには年間7万人が罹患して、3万人が手術の対象になる。
 年間100例の手術をするには、肺がんの専門医は300人未満で十分という
 ことになる。 しかし、現在は1,500人もいて、「専門医」は明らかに多すぎる。
 その結果、手術経験の少ない医者や病院が増えてしまい、結果として成績は
 上がらない。 (なるほど)

③厚生労働省が指定する、がん拠点病院が全国に351もあるが、こんなに
 必要か?
 病院を分散するから手術数の少ない病院が増えたり、病院あたりの医者の
 人数が削減され、 過労状態になったりもする。
 (外科医の先生は忙しそうだものね。何とかしないと日本の医療は大変だよ)
 
④都道府県に1~3箇所の拠点病院があれば十分だと考える。
 そこに、腫瘍内科医、放射線科医などを配置し、外科医は外科業務に専念する。
 麻酔看護師や医療秘書というコメディカルの活用も進める必要がある。
 このような分業体制を整え、専門医のサポート体制を厚くすることで、
 専門医の労働条件も改善できるし、技術レベルも上昇する。
 (なるほど。でも余った?お医者さんや地方の病院はどうなる?)

⑤では、多すぎる専門医をどうするか?
  土屋氏は総合臨床医の充実こそが、専門医の充実よりも優先する課題という。
   術後のフォローや、がん検診などは、近くの「かかりつけ医」のほうが適して
   いるし、専門医のいる病院と、総合臨床医のいる診療所に分業することで、
   経営も成り立つはずという。
   高齢化が進むと、がんだけでなく糖尿病や高血圧を併発する患者も増える。
   しかし、がん対策基本法にも総合臨床医の増加は盛り込まれていなし、総合
   臨床医の絶対数の不足が「がん難民」を生みだす背景にあるという。
  (たしかに、そういう面もあるだろう。そうは見ていない人も多いようだけれど)

⑥で、土屋氏が提案するのが、メディカルクラスター構想。
  急性期医療から、慢性期医療、医療関連産業までを集約化した一大医療
  センターのことらしい。
  (アメリカのがん専門病院で有名な、MDアンダーソンがモデルらしい)
  中核となるガン専門病医院の周囲に、循環器センター、糖尿病センター、
  救急センターなどの専門医療施設、リハビリ施設、遠方からやってくる患者の
  宿泊施設、医療関係者の住宅、研究施設などなどを集約化するものらしい。
  (私の主治医も、アメリカにはそんな施設があるといってたなあ)

⑦厚生労働省は、「がん拠点病院を増やし、がん治療の均てん化」を図りたい
  ようだが、 拠点病院を増やすより、メディカルクラスターをつくるほうが効率
  的に治療ができる。
  人口の少ない都道府県でも、メディカルクラスターがひとつあれば事足りると。
 (救急患者をどうやって運ぶかとか、メディカルヘリコプターのコストとか、いろいろ
  問題はあるだろうけど。大学の医局制度とかもネックになるかな?)

⑧医療もひとつの産業である。
 医療費削減、医師削減ではなく、メディカルクラスター設置により医療産業を
 興せば、地方経済活性化にも寄与するはず・・・と。

 これは医療におけるSC化(ショッピングセンター化)ですね。
 小売業も個人事業者の時代からスーパーへ、やがてSCへと「集約化」と「産業化」
 が進みました。
 SC(ショッピングセンター)の特徴は、核となる店舗の存在と、専門店やサービス業
 の集約です。専門店の単独出店よりも集約化することで、魅力度は何倍にもなります。
 しかも、手術をするような専門病院は近くにあることより、技術が確かで最新設備が
 整っていることのほうが大切ですよね。(たとえばデパートなんかそうかな)

 でも、毎日のように使う食料品スーパーは、住んでいるところの近くが便利。
 これは総合臨床医のいる診療所ですね。
 
 問題は、これを実現できるのはだれか?ということ。
 国立ガンセンターは、築地市場跡地に建設を考えているらしいけど、地方ではどこが
 受け皿になるのだろうか。
 SCのような民間のディベロッパーができるのだろうか?旧国立病院や大学病院に
 それができるか?
 産業化するには民間資本の積極的な導入なども必要かもしれないが、規制だらけの
 日本でどこまでできるか?
 
これですべて解決とは考えられなし、がんセンターにはいろいろな声を聞くからね。 
でも、現状の閉塞感を打破するには、これくらいの発想は必要かもしれないね。
そんな感想を持った記事でした。 
先週の3月6日、毎月の検診に行ってきました。
血液検査をして、肺のCTを撮って、肝臓のエコーを見て・・・・
ただ、肺に変なものが見えているらしいんだけど、転移ではないだろうということで・・

一応、転移、再発はないらしいので、抗がん剤は終了となりました。
めでたいのかな?
毎日、時間を決めて飲んでいたときは憂鬱でしょうがなかったけれど、
「このおかげで生きていられるのかも」という思いもあった。
薬の必要がなくなるということは、「自分の免疫力が勝負」ってことだし、
再発したら「たぶん延命治療しかない」ってこととイコールだと思う。

そう思うと、喜んでばかり入られない。
代替療法にも関心は高まるけれど、確証もないし、コストも高いし・・
命さえもお金で決まるのかと思うと、腹が立つけど。

でも、とりあえず1年は長生きできたことに感謝しよう!(笑)
笑って生きていくことにしよう。
1年前は、確実に死を意識していたんだから、大きな前進だよね。

ということで、3月15日は私の50回目の誕生日!
術後1年経過とあわせて、記念に夫婦で旅行にいく予定です。
たぶん、京都や大阪方面。

また、報告します。


手術を受ける病院を決めてから手術まで、一ヶ月もなかったと思います。
セカンドオピニオンのときに、「できるだけ早い日程でお願いします!」ってお願いして。

仕事の引継ぎをして、さあ入院。
手術までは暇だけどね。

前日だったかな?ストーマを設置する位置を測って、マジックでマーキング。
なんだか不思議な感じです。
手術の前日の夜には、一応遺書も書いておいたね。
リスクもゼロではないだろうし。

手術室に入って麻酔された直後までは記憶があるんだけど、すぐに意識朦朧。
で、目が覚めたときは手術室を出たところで、妻と娘がいたような記憶があるんだけど
次に気がついたときはICUの中。
後で聞いたところでは、手術は12時間にも及んだらしい。
内臓脂肪が多くてメスが切れにくかったり、リンパ節転移があるから、拡大かくせいをしたりで。
輸血は必要なかったらしいけど、先生たちも大変だったろうなあ。感謝、感謝です。
12時間も集中して仕事をする・・・・外科医は大変だよ。ほんとうにありがたいです。

ICUに入ったのは、たぶん夜中だと思う。
体中に色んな管が刺さってたんだけど、なぜか喉に入っているチューブが気になってね。
違和感があって、眠れないし、いらいらして「早くはずしてください!」とお願いしてた。
「痰が詰まったりしないようにするため」だったと思うけど、本当に苦しかった。
このままの状態が続いたら、気が狂うんじゃないかってくらい・・・
さらに、病室が空くのに時間がかかり、なかなか病室に入れなかったこともイライラを
増幅させたように思います。
今思っても、あの時間が一番苦しかった。時間の感覚もなく、意識も朦朧とし、でも感覚だけは
あるので「なんとかしてくれー」って感じ。
次に手術を受けるときは、喉のチューブはやめてほしいと思う。もしくは、麻酔で痺れさせてほしい。

病室に移ってからは比較的順調だったように思う。
「熱がなかなか下がらなかったり」「夜中に寝汗がすごくて、びっしょりになったり」はあったし、
「夜中に目が覚めて朝が待ち遠しかったり」ということはあったけれど。
手術の痛みも、まったくなかったし。麻酔が上手なのかもしれませんね。
でも、鼻の酸素チューブはすぐにはずしたけれど。鼻とか喉とかにチューブがあるのは精神的に苦痛でした。

何より看護師さんたちが、優しかったしね。
最初の頃は、しょっちゅう見回りに来てくれてたなあ。看護師さんも大変な仕事だね。
でも、とっても大切な仕事。尊敬してます。

そうそう、入院して数日はストーマのことは、まったく気にならなかったです。
便も出ないし、ガスも出ないし(笑)
初めて対面したときもショックもなかったし、「こんなもんかな」って感じ。
看護師さんも「梅干みたいなのが良いストーマ」なんていうもんだから、梅干に見えてくるし(笑)
手術前にブログで読んでた、楽楽4649さんの楽しい?ストーマとの付き合い方の影響かも(笑)
昨年の2月に手術をして、1年が経過しましたが、今日で一応抗がん剤は終了。
今から最後の「UFT+ユーゼル」を飲みます。
1週間の休薬期間を置いて来週には主治医の先生の検診があって、エコーやCTもありますから、
異常がなければ、しばらくはお休みになる予定です。
神様に祈るしかないですね。

抗がん剤もいやだったけど、何も飲まなくなるのも不安です。
このまま、ほっといて大丈夫だろうか?
再発や転移しないんだろうか・・・・

自分の免疫力だけが頼りなのかな。
ニンニクでしょ、スプラウとでしょ、乳酸菌でしょ、ナッツでしょ、・・・・
くよくよしないこと、笑うこと、運動すること・・・・・
まあ、なんとかなるべさ(笑)
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プロフィール
HN:
gueroguero
性別:
男性
自己紹介:
妻、娘二人(県外に就職)、愛犬(メス)と暮らす。
07年1月に大腸がんの宣告、2月に手術を受け、人工肛門となるとともに、抗がん剤治療を開始する。
がんになって改めて感じた、人の温かさ、日々の暮らしの大切さを日記に残したくてブログにチャレンジ。

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